2015年12月18日

空っぽなあたまにいろいろ入れていくもの

http://hima3kan.seesaa.net/article/431329853.html
の続きみたいなの。

こういう、ざっくりしたまとめの知識本を読みたくなるのは。

今年になってから、書くお仕事のほうでいろんな人と会った。
同業の人や、書いてるものの関係者や、取材相手、いろいろ。

とつぜん、それまでのじぶんの世界にいなかったような人たちといろいろ出会えるようになって、「わたしがリアルで人と会話する内容」も、それまでの会話経験にはないような話題ばかり。
じぶんよりずーっとあたまのいい人たちばかりだから、わたしにはついていくのが難しい話題とかもたくさんある。

みんな、ものすごい「物を知ってる」んだよねー。
と同時に、じぶんが物を知らなすぎ、っていうこともわかった。

書くお仕事は、文章力があるだけじゃダメ。
フィクションにしてもノンフィクションにしても、「書きたいテーマ」はじぶんの中から出てくるんだから、その引き出しの中がガラガラだと書けるものが大してない。
なに書いても自由な創作の小説だとしても、なにか専門知識を持ってたほうが、ぜったい面白味が深まる。

「なにを書こうかな」ってかんがえるときも、じぶんのあたまの中がガラガラだったら、とっかかりになる材料がなくてなんにも思い浮かばないことになる。
なにか西洋を舞台にしたもの書きたいなー、っておもったとしても、西洋の歴史や宗教のことをなんにも知らなければ、どの時代のどの国を舞台にしたお話、っていうのも決めれない。

ノンフィクションの場合は、無知なあたまではキョーミが湧く対象も見つからない。
だから、書きたいテーマも持てない。
とりあえずはいろんな雑学を知っておくと、大した知識でなくても、「なに書こうかなー」ってあたまの中を掻きまわしたとき、ハズレのないクジみたいに、なにかしらのカードがひける。
人と話をしてて、じぶんの知らない話題を出されても、だいたいどんな種類の話かっていう見当がつけれたり。
そういうとっかかりがあれば、そこからいくらでもいろいろ調べて知識を深めていける。

得意な「専門分野」を持ってないわたしは、じぶんの引き出しをせめても空っぽにはさせておきたくない。


いまの仕事をはじめる前、ウツでバイトもできない状態で、すごいお金に困って、在宅でできる仕事があればいいのにー、ってかんがえてた。
そういうときに、ときどき読んでたフツーの日記系ブログの人が、ウェブライターをやってる話を書いてた。
わたしも書くことは好きだから、じぶんにもできるかなー、っておもって、そういうサイトを見てみた。

そしたらびっくり。
いろんな「書く仕事」はあって、こういうのを書いてください、っていう、個別の注文がずらずら並んでる中からじぶんが書きたいのを選べばいいらしいのね。
だけど、わたしが書けそうな仕事はほとんどなかった。

はっきり覚えてないけど、いろんなテーマがあって。
美容系の記事とか、家事系、育児系、コミュニケーション系、恋愛系。
映画館で最新の映画を見てレビューを書く、っていうのもあった。

映画の感想ぐらいは書けそうだったけど、映画館にいちいち出かける、ってとこでわたしはめんどくさくて断念。
家事系とコミュニケーション系のはいくつか書けそうなネタ持ってたけど、画像も用意しろ、ってことだったから断念。

他のサイトのは、企画を出してみろ、ってメールが返ってきて。
その要求の度合いがものすごい高いの。
それでギャラが「は?」っていう、ものすごい低い金額。

ウェブライターって、ぜんぶ丸投げされるんだねー。
画像も。企画も。
それぜんぶやって、たったあれしかもらえないのー?
小銭程度のギャラのために、雑誌をひとりで編集するぐらいの「いろいろ」をやらされる。
ものすごいいい商売だよね、って、なんかバカバカしくなってやめた。

だけど、ウェブライターをやってる書き手のことは、ぜんぜん皮肉でもなくて、ほんとに尊敬した。
それだけのことがやりこなせる人じゃないと出来ない仕事なんだもん。

じぶんでネタを持っていて。
調べたり出かけていく能力もあって。
読者をひきつける構成ができて。
勿論、文章力があるのはあたりまえ。
それから画像も用意できる。
フリー素材を探してくる能力、じぶんで撮影する能力。

こんな能力、ぜんぶ持ってる人、すごいよー。
ウェブライターって、すごい仕事だよー。

こんなことができる人を、あんな安く使ってる商売、って、なんかすごいモヤモヤした。
数百円、何千円、程度の仕事じゃないよねー。
報酬にものすごい問題があるシステムな気がする。

わたしはだれにも知られずぱそこんでこっそり在宅ワークすることは諦めて、どうしてもお金が必要だったから、いろいろ声をかけてくださってた編集者さんと会うことにした。
そのときに、ウェブライターの仕事見たら、ぜんぜんああいうのが書けそうもないことわかったから、やっぱりわたしにはムリかも、って言ってみた。
そしたら、経験のない新人なんだから、勿論つかえるように教えていく、って言われて。

こっちは丁寧な指導つき。
わたしみたいに、ほんとにこの仕事に関して完全な素人は、指導してもらえる、っていうのがありがたくて飛びついた。

そして、ほんとにいろんなことを細かく、現場に即した形でいろいろ教わってきてる。
テーマと文字数を出されて、「これで書いてみて」って言われて、書いた原稿見せたら、ぜんぜんダメ、ってそのまま返されて。
そのときに、なにがダメなのか、どうするべきか、っていうことを教わる。
そのとおりまた書き直して出して、また戻されて、そこで指導受けて、また書き直して。
そういうやりとりを繰り返しながら、少しずつ、そういう原稿の書き方を掴んできた。

これだけの内容を入れて、っていう注文に対して、「え?」ってびっくりするぐらい文字数の指定が少ない。
これだけでこんなに書けるわけないじゃんー、っておもったけど、それを書くのが「プロ」なんだよね。

ものすごい限られた文字数だと一行もムダにできない、っていうかんじ。
じぶんが書きたいことからどんどん削り落していく必要がある。
その削り方をいろいろ教わってる。(まだ現在進行形)

ブログではこんなだらだら書くのは反動ってわけじゃないけど、わたしはもともとこういうだらだら文しか書けなかった。
でも、文章の削り方を教わると、仕事ではタイトな文がすらすら書けるようになっていく。
遊びのブログでは、そういうことをしないでただだらだら書いてたいからだらだら書いてる。
仕事と私事の文章を変える、っていうのはわたしはたのしい。

ちょうど、まだ読んでるキングの『書くことについて』でも、わたしが教わったこととおなじことが書かれてた。

書くことについて (小学館文庫) -
書くことについて (小学館文庫) -

(略)もうひとつだけ言っておきたい。副詞はあなたの友人ではないということだ。
 学校で習ったとおり、副詞というのは動詞や形容詞やほかの副詞を装飾する単語で、通常は語尾に "-ly" がついている。受動態と同様、副詞は臆病な作家が好んで使う。
(略)
 地獄への道は副詞で舗装されていると、私はビルの屋上から叫びたい。別の言い方をすると、副詞はタンポポである。芝生のなかに一輪ぽつりと咲いていたら、かわいらしい。だが、抜かずに放っておくと、次の日、花は五つになり、その次の日には五十になり、そのまた次の日には……というわけで、いつのまにか芝地はタンポポでいっぱいになってしまう。タンポポが雑草だと気がついたときは、ゲッ! もう手遅れだ。

///『書くことについて』//スティーヴン・キング


タイトな文字数指定の原稿を書いて渡したら、ものすっごい勢いで副詞をバシバシ削られて戻されてきた。
その分、もっと内容が濃く書けるはず、って。
そういうムダな描写が味わいになる文章もあるけど、文字数が限られてる原稿は副詞は「邪魔」、っていうことを学んだ。

キングは「受動態」にもぶーぶー反対してる。
たとえば、だれかがキッチンで死んで、遺体が運ばれるとき。

遺体はキッチンから運びだされ、応接室のソファーに横たえられた。


っていうのより。

フレディとマイラは遺体をキッチンから運びだして、応接室のソファーに横たえた。


って書け、ってこと。

これでいいではないか。そもそも遺体が主語である必要はない。遺体は死んでいるのだ。そんなにがんばらせる必要はない。

///『書くことについて』//スティーヴン・キング


キングのこういう書き方が好き(^_^)

わたしも「なんで、ここ受動態なの?」って、なんどか突っ返されたからねー。

 下手な文章の根っこには、たいてい不安がある。
(略)
 ダンボは魔法の羽根で空を飛ぶ。われわれが受動態や副詞にすがるのは、この魔法の羽根の助けを借りたいからだ。
(略)
 いいものを書くためには、不安と気どりを捨てなければならない。気どりというのは、他人の目に自分の文章がどう映っているかを気にすることから始まる。それ自体が臆病者のふるまいである。

///『書くことについて』//スティーヴン・キング


わたしはそもそも「副詞ってなに?」っていう無知レベルからはじめた。
そんなわたしに呆れないで教えてくれた編集者さん(一社だけじゃなくて、いろいろなとこの担当さんにわたし、いろいろ教わりまくってる)に、ものすごい感謝。
(って書くのに「ものすごい」とか書いてるわたしー)

 語彙に関しては、最初に頭に浮かんだものを使ったほうがいい(よほど的外れだったり、精彩を欠くものでないかぎり)。ためらったり、思い悩んだりして、別の言葉を選んでも(別の言葉はいくらでも見つかる)、たいていは最初に思いついた言葉に及ばない。意図したものから遠ざかる場合のしばしばある。

///『書くことについて』//スティーヴン・キング


これも言われた。
「うまい言葉を探すな」って。
さいしょに思いついたものをそのまま書いていく。
それが、書き手の「感性」なんだって。
直すのは文法がヘンなとこ、間違った記述、要らない語彙。
だけど、「選んだ言葉」を「もっとうまい言い方」に変えていくのは凡庸になって文章の鮮度を落とすことになる、って。

あとは、わたしがやってる仕事の多くは、書くテーマを発注される。
だいたいは必要な資料も編集部から送られてくる。
じぶんで買うのはじぶんのお金だけど。(申告のときに「経費」となるけど)
カンタンに揃わない資料なんかは用意してくれる。

それに慣れちゃって、ちょっと難しいテーマの発注が来たとき、担当さんに資料の請求の電話をしたら、じぶんが探せるのはじぶんで探してください、って編集長さんに怒られちゃった。
ものすごいあたりまえのことなんだけど、新人のうちはいろいろなんでもやってもらってたから、甘えてた。

でも、その資料は「どこを探せっていうのー」っていうかんじの内容だった。
いちおうネットで調べたけど、つかえそうな情報なんてひとつも見つからなくて。
(英語が読めたら世界中のウェブページを探せるのにー、っておもったよねー)

それで仕方なく、わたしはその関係者の所在を調べて、その人に直接電話して、取材って形でいろいろ教えてもらった。
あとで編集者さん(じぶんでやってねって言った人とはちがう人)に「これ、よく調べましたねー。どの資料つかったんですか?」って聞かれたから、「直接電話して聞いちゃいました」って行ったら、「えええー」って驚かれた。
よく「直接電話で聞く」なんて思いつきましたねー、って。
聞けば教えてもらえるもんなんですねー、って。

そうなの。
電話するとわりと教えてもらえる。
ちゃんとこっちは名乗るし、素性が怪しい人には教えれない話は電話取材なんてムリだけど、そんなヒミツな情報じゃなければ、ちゃんと名乗って目的を説明すれば、親切に教えてもらえることが多い。
あとでそれが掲載される媒体を送って、って言われたところには、あとで担当さんが送ってくれたり、じぶんで送ったりしてる。

取材の仕方なんて教わってなかったときに、そういうことやって、「あ、わたしでも取材ができる♡」ってうれしくなった。

また長くなるから、分けて書くー。
いまは時間がなくなったし。

じゃあの。



(こんなまとまりなくだらだら書いてるわたしは、仕事してるときとは別人のわたしなので、これでほんとに仕事してるとかウソっぽいー、っておもうかもしれないけど、いちおうウソは書いてなくて、でもブログはだらだら書きたいから書いてんのー、って開き直るようになった)






そんじゃーの。





pg151218a.png

グルメライターになれたら、経費でこんな豪華客船のレストランでお食事できるのにねー。
('_') ←びんぼー舌すぎて、なに食べても「わーい♡すごいおいしいー♡」しか言わないので、グルメなネタは書けないヒト


posted by みかみか at 19:46| オーランド ☀| 読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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